営団地下鉄では1965年に銀座線の2000形を使用してチョッパ制御の試験を行い、その結果を元に6000系電車として量産に至った。国鉄でも1967年3月に101系を改造して力行チョッパの試験を行った後1969年11月には装置を一新して回生ブレーキも含めた試験を行った。しかし回生ブレーキの結果には難があり、1970年11月にも同様の試験を行ったが、回生ブレーキ時の界磁電流制御が今後の課題とされた。力行制御は既に合格ラインに達していたが、抵抗を低い速度で抜ける103系との比較では思い装置を積んでチョッパ制御を力行だけで行うメリットが少なく回生ブレーキとの組み合わせが求められた。電機子チョッパでの回生ブレーキは発生電圧を抑える必要があるのだが、103系に搭載されているMT55では定格速度が低く高速域からの発電ブレーキでは発生電圧が高くなる特性があった。これらを改善するため1972年に直並列チョッパ制御を開発し、試験では高速域からの回生ブレーキでも有効であることが確認された。しかし労使関係のこじれからこの装置を使用した走行試験が運転できない状態となっており、1974年6月まで現車試験は行われなかった。国鉄の場合標準化の観点から同一システムを通勤形だけでなく近郊形にも波及させなければならない困難が付きまとい、地下鉄のようにブレーキ初速度が低い場所や誘導障害の範囲が限定される状態では導入可能な技術も多くの路線での使用を前提とする国鉄での採用には様々な問題点をクリアしなければならなかった。特に標準品との兼ね合いで設計が制約されてしまい、直並列チョッパのような余計な開発時間を要することになってしまったのも事実である。1975年頃からは回生ブレーキの特殊性が理解され、チョッパ制御に適した主電動機の設計が認められるようになってチョッパ制御と対になるMT60主電動機の開発とそれを用いた回生システム等が詰められていく。結果的にチョッパ制御の201系が登場したのは1979年1月であった。

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